投資銀行からコンサルティング会社へ
有名私立大学を卒業した後に、2回の転職を経験し、投資銀行にてキャリアを積んでいました。その後のキャリア形成に試行錯誤を繰り返し、コンサルティングファームを目指して転職活動を開始。最終的には3社から内定をもらうことができ、コンサルティングファームへの転職を実現しました。
突然の母の病
わたしは大学を卒業してから2回転職をし、3社目で念願の投資銀行業務につくことができました。
計画的なキャリアアップだったのですが、そんな中、実家の母が病気で倒れ、入退院を繰り返すようになってしまったのです。親戚が交代で看病をしてくれていたのですが、うちは母子家庭ということもあり、母のことが心配で、毎週末、新幹線で田舎に帰って、母の見舞いや実家の家事をし、月曜の朝に東京に戻り、そのまま出社する日々が続いていました。
しかし、ただでさえ投資銀行業務はハードな仕事です。「このままでは自分まで倒れてしまうのではないか?」そんな不安と、「今、母のそばにいてあげないと絶対に後悔することになる」という気持ちで、考え抜いた末に地元に戻って働くことを決意し、いくつかの紹介会社に登録したのです。
困難を極めた転職活動、素晴らしいキャリアコンサルタントとの出会い
しかし、20代で3回目の転職活動なので、エージェントからは“ジョブホッパー”として扱われ、ほとんど案件を紹介してもらうことができず、応募した数少ない企業からは「転職回数が多すぎる」という理由で、どこからも断られてしまいました。
そして、諦めかけていた頃に、人生を変えるキャリアコンサルタントと出会いました。
見えてきた希望、再チャレンジ
これまで転職した理由、今の事情をすべてキャリアコンサルタントの方にお話ししたところ、「地元で働ければ何でもいいんですか?」「お母さんが元気になったら、将来飯島さんはどうしたいの?」と聞かれました。
正直、自分に仕事選択の余地があるとは思っていなかったので、この質問には驚きました。
そこでキャリアビジョンをもう一度整理し、“企業経営に深くかかわった仕事をしていきたい”また、“財務の専門性を深めていきたい”という希望が自分の中にあることに気がつきました。
そこから応募先の候補として、コンサルティング会社、シンクタンク、事業会社の経営企画、財務のポジションをピックアップしてもらい、応募準備をすることになりました。
「飯島さんの場合転職回数がネックなので、志望理由書を書いて、これまでの転職理由や今後のビジョンを、第三者が納得できるように説明することが必要」だと言われ、志望理由書を作成しました。この書類を作成する段階で、自分がこれまでキャリアアップを急ぎすぎて、どの会社でも中途半端な経験になっていたことを実感し、これからは一社で腰を落ち着けてじっくりキャリア形成をしたい、と考えるようになりました。
応募した企業の半分以上は面談に進むことができ、ただやみくもに応募していたときとは書類選考の通過率がこんなにも違うものなのかと驚きました。
自信を持って臨んだ面接、コンサルティング会社入社へ!
企業との面接の前に、コンコードさんと何回か模擬面接を行い、自分に自信をつけてから実際の面接に臨みました。
地元での面接になるので、有給休暇を取得し、帰省したタイミングにすべての企業の面接ができるように面接日程の調整をしてもらいました。
練習の成果があってか、面接では思ったよりも冷静に受け答えをすることができ、最終的に3社の内定をもらうことができました。
そして、その中から、“たくさんの企業の経営を見ることができる”“優秀なロールモデルがたくさんいる”という二点から、いまのコンサルティング会社にお世話になることに決めました。
やりがいある仕事、母と暮らす幸せ
今は、地元大手企業の財務戦略プロジェクトに携わっており、地元に貢献できることに非常にやりがいと満足を感じています。
母は完治していない状態ですが回復の兆しがあり、一緒に暮らせるようになったことを喜んでくれています。
わたしも毎日母の顔色を見ることができるので、安心して仕事に行くことができます。 本当にありがとうございました!